みなさん、こんにちは。本日のブログは、いつもと違ってKING2012実行委員長「小池真登」よりKING2012のコンセプトとなっている「Initiate of Innovation」についてです。
委員長が気合を入れて書いたのでぜひみなさんご覧ください。
委員長が気合を入れて書いたのでぜひみなさんご覧ください。
イノベーション探求
既存のやり方じゃだめだ!イノベーションだ!
などと叫ばれて久しい。久しいという言葉では生ぬるいかもしれない。
イノベーションという言葉はもはや陳腐化した。
なぜイノベーションと叫ばれ、なぜイノベーションが陳腐化したのか。
今回の記事にまとめよう。
さて、まずイノベーションとはなんであろうか。
その定義をするだけで、本が一冊書けてしまう。
ひとまず国が定めた一つの定義を示してみよう。
イノベーション25というものをご存じだろうか。
安部内閣時代に発足されたプロジェクトで、国家的にイノベーションを起こすために尽力しよう!といった趣旨の下、発足された。
そこでは、イノベ―ションを
『イノベーションはこれまでのモノ、仕組みなどに対して、全く新しい技術や考え方を取り入れて新たな価値を生み出し、社会的に大きな変化を起こすことを指します。』と定義した。
この定義で十分であろうか。
Facebookはイノベーションであるか
iPodはイノベーションであるか
Amazonはイノベ―ションであるか
先例を考えてほしい。
イノベーションが起こると、必ず破壊が起こる。
いや、破壊が起こるからイノベーションが起こるともいえる。
なんせよ、
Facebookはコミュニケーションの従来の在り方を現在進行形で破壊し続けている。
iPodはかつての音楽業界の産業構造を破壊した。
Amazonは小売りの在り方を破壊した。
イノベーションと破壊は切っても切り離せない。
破壊は、あくまでも新しい価値創造のためのプロセスである。
つまり、イノベーションは創造的破壊を伴うのだ。
ここにおいて、イノベーションを内閣府の定義を基に再定義すると、
『イノベーションはこれまでのモノ、仕組みなどに対して、全く新しい技術や考え方を取り入れて新たな価値を生み出し、創造的破壊を伴いながら社会的に大きな変化を起こすことを指します。』
というふうにできるであろう。
さて、なぜイノベーションが叫ばれるようになったのか。
早い話が、従来の手法に限界が来たからである。ようは「(いろいろ)新しくしなきゃ!」ということをかっこよく「イノベーションが必要である!」と言っているだけである。
少子高齢化に伴う日本社会の停滞、情報化社会及びグローバル化の進展にともなう国際競争力の減退、環境問題など、様々な要因によって、従来のやり方ではダメだと言われ続けてきた。
バブル崩壊後から、日本企業はイノベーション探求の旅に出た。
なにを変えなければならないのかわからず、長い長い旅に出た。
もちろん、いまも旅の途中である。
何か体系化されたことが出されると、日本企業は経済は食いついた。
それは
Finance⇒ブランド⇒知的財産マネジメント
と推移していき、それなりの成果を挙げた。
しかし、日本企業の現状を考えれば、それらが不十分であることはあきらかであろう。
日本は既存の体制を改められず、創造的破壊をする勇気がないのだ。某通信業者や自動車業界が現在進行形の好例であろう。
これほど失敗続きで、海外勢に押されている現状を見ていると、イノベーションという言葉も陳腐化するというものである。
特に今となっては、ICT技術と国際化の進展により技術開発をしても、早急に後進国に技術は真似され、価格競争という泥沼の戦いに突入する時代である。日本が得意としてきた技術ベースのモノづくりにも限界が来ている。
キーワードはユーザーエクスペリエンスである。
つづく